上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新年初の休みだったはずなのに
何故か仕事をしていた今日この頃。

ごきげんよう、熊です。

しかも急遽休みになった人が「都合がついた」と出勤されたんで
就業時間がわずか2時間だったという…
え、通勤時間ですか?
バイクで往復2時間半ですが、なにか?


さて、そんなわけで今日はとても中途半端な一日でした。
本来ならGARABO師と初詣にでも行ってグダグダする予定でしたがキャンセル。
師匠には申し訳ないことをしましたね。このお返しはいつか…リュウジあたりに請求してください(笑)

で、就業後そのまま帰っても仕方ないのでどこかに初詣に行こうと思ったのですが
帰り道にはこれといった神社がない。
そこで少し遠回りすることにしました。向かった先は

大仙陵古墳


今は仁徳天皇陵とはいわないんですね。宮内庁管理で調査発掘を認めていないために
考古学的に確定されていないとか。
私が学生のころは仁徳天皇陵ということでしたが、時代は変わるものです。

それはそれとして、さっそくお参り。
といっても拝殿があるわけでもありません。拝所から陵墓をのぞむだけになります。

拝所より


入れるのはここまで。目の前に二重目の堀があり、鳥居の向こうに三重目の堀。
その奥が陵墓です。

宮内庁からの注意書き


手水舎よりのぞむ


そんなこんなで写真を撮っていると
「ボランティアで簡単な説明とかしてるのですが、どうですか?」
と背後から声が。
どうやらNPO法人堺観光ボランティア協会のかたのようです。(大仙陵古墳は大阪府堺市にあります)
せっかくだからお話を伺いました。
まぁ心のなかで
(じえいたん出してなくて良かった~)と思っていたのは秘密です。
仕事帰りなので持ってなかったのですよ、ハイ。どこぞの看板娘が可愛くて仕方ない野郎のように職場だろうが何処だろうが連れ歩く人とは違うのですよ(笑)

そして十数分ほどお話を伺いました。
最初は画一的な説明だけで(私が好むような)面白い話はないだろうなと思っていましたが
なかなかどうして、面白い!

もちろん知っている話が半分くらいだったのですが、そうでない話が面白すぎた。
そのうちの一つをご紹介。
ただし、あくまでそういう説がある、という範囲です。
ちょっとしたネタ話の類ですね。

今、堺市は政令指定都市であり大阪府第二の都市ですが、明治維新のあと少しの間堺県でした。
で、日本史の教科書等にも載っていますが堺はもともと幕府の天領だったため、奉行が中央で任命されてやってきて、任期が終わると帰るという状態だったんですね。
そこが県、いわゆる地方自治体になったためお金がない。そこで…
県の関係者が陵墓を盗掘し、それを売って県の財政に当てた
という話。

そんな突っ込みどころ満載の話、ニヤニヤせずにはいられない(笑)
まあ事の真偽はわかりませんが、面白い話もあるものです。
実際盗掘にもあっていますし、アメリカのボストン美術館には仁徳天皇陵出土とされている銅鏡なんかも収蔵されているらしく、それらは京都で買い求めたものだそうです。
想像、というより妄想がかきたてられますね(笑)
あと余談ですが、堺県はその後、奈良県を吸収したそうです。そしてそのまま大阪府に吸収された。
つまり短い間ですが大阪府は今の大阪府と奈良県を足した広さだったわけですね。
恐るべし、大阪!!

そのほかに、いまは堀の水も濁っていますがボランティアの方が子供のころは澄んでいて、鮒などが泳ぐ姿がそのまま見えたそうです。もう当時の面影はありませんが昔は陵墓のまわりは畑ばかりだったらしく、雨の少ない時期に堀から水を汲んでいたそうです。その後、堀の水はそこから7、8kmはなれた狭山池(大阪狭山市)からひいていたため、上手く水が循環して綺麗だったとか。
残念ながら今は…

一重目の堀


二重目の堀


本当に残念です。

いやしかし、軽い気持ちで立ち寄っただけなのにかなり面白い体験ができました。
できれば近くにある履中、反正の両天皇陵古墳にも足を運びたかったのですが
雨がポツリポツリと振り出したため断念。バイクにまたがりました。

最後にボランティアの方が
「春にもう一度きてください。まわりは桜並木になるし陵墓の緑が鮮やかだから。」とおっしゃってくださいました。

また楽しみが増えましたね。
今度はじえいたんとくるかな♪


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://tukinowatei.blog25.fc2.com/tb.php/480-3d2f0844
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。